2006年09月20日

ポケモンのサトシ インタビュー Time記事

元ネタ Pokemon Dream

ちょっと前に、ポケットモンスター ADVANCED GENERATION が終わりましたね。
と思ったら直ぐにまた新シリーズが始まるみたいです。
まあドル箱アニメですからね。文字通りに。
アメリカでの人気健在ぶりは以前記事に書いた通りで、まだまだ稼げます。

僕自身はポケモンを欠かさず観るといったフリークではなかったですけど、観るものが無い時のテレ東頼りで初期のポケモンは良く観ていました。当時はまだスカパーも無かったですから。そうしてポケモンを観て行く内に、あれっどうして?と不思議に思った事があります。
ヒロインのカスミが消えちゃったんですよね

kasumi misty.gif

ポケモンからポケモンAGになった時に、サトシやタケシやピカチュウはいるのに何故かカスミだけいない。他のアニメでも新シリーズになるとキャラクターが全て入れ替わる事はあったけど、ヒロインだけ交代っていうのを僕は初めて見たので、ちょっとビックリしました。そしてカスミに取って代わった2代目ヒロインのハルカは良く言えば優等生タイプだけど、華も毒も無い空気のような存在。つまり、キャラが立ってないんですよね。カスミに比べたら全然。ポケモンAGはあまり観てないんですが、ハルカは人気が無かったんじゃないですか。EDテーマで強引にハルカをフューチャーしてるの観たとき、たぶんそうなんだろうと思いました。

ならどうしてヒロインを変えたのという事なんですが、ちょっと調べた所ではアメリカの視聴者からのクレームが原因みたいです。何やらヘソを出したあの服装が少女にあるまじき格好なんだそうで・・・
その為、日本のアニメ製作スタッフは途中からトゲピーというポケモンを、カスミにお腹の前で抱かせてヘソを隠すという苦肉の策を取ったようです。そんな面度臭い事をせずに服を替えればいいのにと僕は思うんですが、何か事情があるのでしょう。もしかしたらスタッフの意地かもしれません。

でも服装だけだと理由にならないんですよね。
ポケモンAGになった時、サトシやタケシの服装が替わりました。それならカスミもヘソを隠した服装に替えて登場させれば良かったんですから。つまりカスミには他にも何か消される原因があったという事ですよね。僕はあの乱暴な性格が災いしたんじゃないかと思います。何かあるとサトシをボカスカ殴ってましたから。日本の視聴者にはそれもギャグの一種だと理解する事はできますが、海外の人達にそれを求めるのは無理なのかもしれません。(長くなるので続きはまた今度)

まあそんな感じでカスミが消えた原因の現地英文情報を探していたんですよ、そうしたらポケモンの生みの親、田尻智(タジリ・サトシ)氏のインタビュー記事を見つけました。残念ながらカスミの事は全く触れていませんが、彼の事をほとんど知らなかった僕にはとても興味深いものでした。という訳で今回は数年前?に田尻氏がTIMEの取材を受けた時のインタビューを紹介します。(長いので前半部分の要約です)

何といってもTIME紙インタビュアーの1番最初の質問がツボに来ました。
「Are you O.K.? 」
こんな質問を最初にされたゲストは後にも先にも彼1人なんじゃないですかね。

田尻氏は結構熱く語ってるような感じを受けました。
虫の話になると語る語る。カブトムシの捕まえ方まで語ってますから。
TIME紙の人もビックリでしょ。
いかにもクリエイターのタイプで面白かったです。

Interview With Satoshi Tajiri - Page 1
This interview is from Time Asia.

タジリは今、日本で11月20日に発売される任天堂ゲームボーイ用のポケモンゲームの新作の仕事が終わったばかりだ。彼は疲れていた。目は血走っていて、クマができていたし、手と唇がしゃべる時に震えてもいた。彼には長く安らかな睡眠が必要だった様に見えた。

TIME: 大丈夫ですか? とても疲れているみたいですが。
Tajiri: これが僕の仕事のやり方なんです。12時間寝てから24時間働く。そういった変則的な時間配分でここ3年間は働いてますね。アイデアを出す為には昼夜起きていた方が良いんですよ。私がゲームデザインのインスピレーションを得るのは、たいていこのスケジュールで働いている時です。

TIME: どういった経緯でゲームのデザインを始めたのですか?
Tajiri: 私はマンガやアニメで育った第一世代の1人なんですよ、ほらあのゴジラの後です。私はテレビやマンガのウルトラマンに夢中でしたよ。ゲームデザイナーという職業ができたのはつい最近ですよね。もし無かったとしら、私は恐らくアニメを作っていたでしょうね。

TIME: 私達はあなたがスペースインベーダー・ゲーム中毒だったと聞きましたよ。
Tajiri: 私は本当にインベーダーにハマってました、あれは1978年ごろかな。それで更にビデオゲームに興味を持ったんですよ。当時はゲーム情報を扱ったメディアが何も無かった。だから、僕はゲームフリーク誌をやろうと思いついたんです。

TIME: わずか10代の頃にですか?
Tajiri: そうです、手書きでやりましたよ。その紙はホッチキスで留めました。
内容はゲームに勝つ為のテクニックです、ドンキーコングの様なゲームの裏技とか。

TIME: それは売っていたのですか?
Tajiri: ええ、ゼビウス特集号は凄い売上げでした。1万部も売れたんですよ。
1冊300円で売ってました。だから私は18の時には既に商売をしてたんですよね。
最初の頃はコピー機を使っていたんですが、売上げが増加すると手作業では難しくなってきたので、プリンターを導入しました。

TIME: どうして、出版関係からゲームデザイナーに転職したのですか?
Tajiri: 私が記事を寄稿<注:当時のファミコン通信で記事を書いていた>する様になって直ぐに、みんなで集まってゲームの話をしました。そうして私がゲームの事をもっと知る様になるにつれ、多くの不満を持つようになったんです。何故なら、多くのゲームが良い出来ではなかったですから。私は良いゲームと悪いゲームが分るようになっていたんです。
ですから私の結論はこうでした、- 私達自身でゲームを作ろう。

TIME: あなたが子供のころ好きだったものは?
Tajiri: 私が育った場所(西東京郊外の町田)は、当時まだ田舎でした。
田んぼがあって、川があって、山がある。そこは自然で満ちていたんです。
でも開発が始まり町が整備されていくと、全ての昆虫は追い払われてしまった。私は本当に昆虫採取が好きだったのに。(この後、タジリの父親が教えてくれた話では、サトシは他の子供達から虫博士<原文:Dr. Bug>と呼ばれていたとの事だ)毎年、樹が切られて昆虫が減っていくんです。劇的な変化でしたよ。釣り池がゲームセンターになったりしましたから。

TIME: 昆虫は好きだったのですか?
Tajiri: 昆虫は私を夢中させましたよ。何しろまず昆虫の動きが面白いし、それに奇妙でしょ。新しい昆虫を見つける度に、私はワクワクしました。だから私はもっと昆虫を探して、どんどん見つけましたよ。川に手を突っ込んでは、ザリガニを捕まえいたし、穴の上に棒があってそれが気泡を作れば、私はそこで昆虫を見つけていました。そしてたいてい家に持って帰ってましたね。そうしている間にますます昆虫が集まったので、私は昆虫の事を学んでいきました。共食いする昆虫がいるなんて事もね。それからは家に持って帰るのを止めましたよ。でも、新しいアイデアを考え出すのが好きでしたね。カブトムシの捕まえ方とか。日本では、たくさんの子供が樹皮にハチミツを塗る事によってカブトムシを捕まえに行くのが好きなんです。だけど私のアイデアは木の下に石を置いておくというものです。というのもカブトムシは日中は眠っていてしかも石の下で眠るのが好きだからです。そして私が早朝に出かけて石を持ち上げると、そこに彼らを見つけるという訳です。そういった小さな発見が私を興奮させていました。

TIME: 昆虫を集めていた友達はいましたか?
Tajiri: ええ、普通子供達はみんなハチミツを使う方法でやってました。私の友人は誰も私の方法でやらなかった。だから私は他の誰よりもたくさん昆虫をゲットしてました。

TIME: そんな昔からあなたはポケモンを集めていたんですね!
昆虫同士を戦わせたりしましたか?

Tajiri: いいえ、だけど昆虫はたまに共食いしてました。



TIME: それらの昆虫からポケモンのアイデアを得たのですか?
Tajiri: はい。今は、昆虫を捕まえる場所が都市化の為にほとんど無くなってしまった。子供達は家の中で遊ぶので、その多くが昆虫採集の事を忘れている。だからこそ私はそうしたんです。私がゲームを作ろうとしていた時ビビビっと何かを感じました、そしてそれをコンセプトとしてゲームを作ろうと決めたんです。私が子供の頃にやっていた事の全てを合わせて1つにしたもの・・・それがポケモンなんです。
ビデオゲームで遊ぶこと、カプセルモンスターを持ったウルトラマンをテレビで観たこと・・・それら全てがポケモンの構成要素になっているんです。

TIME: 何故ゲームを作り終えるのに長い時間がかかったのですか?
Tajiri: うーん、最初のゲームは全部自分で作ったんですよ。ポケモンの前の事になります。私は他の会社やプログラマーを信用してなかったんです。私はまず、どう機能しているのかを理解する為に、任天堂システムを分解する事から始めました。そして16歳の時には、セガ主催のゲームアイデア・コンテストに勝ちました。プログラミングの勉強に2年、そして最初の作品(Quintyと呼ばれた)となるゲームの製作に1年かかりました。

TIME: どうして任天堂と関わる事になったのですか?
Tajiri: 最初にリリースされたゲームボーイを見たんです。そしてポケモンのアイデアが私の頭に浮かんでいました。そのポケモンの基本アイデアが、ゲームボーイに上手くフィットしそうだったんです。

TIME: 何故、ゲームボーイがポケモンに適していると思ったのですか?
Tajiri: ゲームボーイの通信面です。それは私にとって意味深いイメージだったんです。それは通信ケーブルを持っていました。それを最初に利用したテトリスでは、ケーブルが動いているブロックの情報を伝えていたんです。それには本当に興味を引かれましたよ。実際、ケーブルを渡って行き来する活発な生物達のことを思い描いてました。

TIME: そのケーブルはプレイヤーが対戦する為に使われていましたよね?
ポケモンでは、共有の為にも使うのでしたよね?

Tajiri: ええ、みんな対戦の為に使っていましたね。私の持っていたアイデアは情報をやり取りするというもので、競争が目的では無かったんです。

TIME: しかし、対戦が無かったらゲームはそれほど面白くないのではありませんか?
Tajiri: 私は対戦も好きでした。でも、私がデザインしたかったゲームは、双方向コミュニケーションを主軸としたものなんです。思い出してください、当時はインターネットがありませんでした。通信ケーブルのコンセプトは本当に日本的な、1対1というものです。空手の様に・・・二人が競い合い、お互いに一礼する。そういった、日本的な尊敬の概念なんです。

TIME: 相撲の儀式的要素の様なものですか?
Tajiri: いえ、相撲よりは砕けた感じですね。インターネット上では、世界の誰とでもコミュニケーションを取る事ができます。そして、それは匿名でも行えます。しかし通信ケーブルでは、1対1で行いプレイヤーは対戦相手をお互い指名します。それだとプレイヤーは、あまり攻撃的にはならないのです。より深く難解なコミュニケーション・スタイルですね。繊細と言っても良い様な。

TIME: アメリカへの翻訳版の感想はどうですか?
Tajiri: 面白いですよね。だって日本ではみんながピカチュウを欲しがるのに、アメリカでは登場人物のアッシュ(日本ではサトシ)もピカチュウも一緒で同じ扱いなんです。アメリカの子供達ってそうですよね。アメリカではピカチュウ単体じゃなくて、アッシュとピカチュウが一緒の商品の方がたくさん売れています。アメリカ人は本当に、ポケモンの概念を日本より上手く理解していると私は思います。日本人はピカチュウにばかり意識を向けます、しかし私は人間性が重要だと思うんです。
 -- アッシュが必要なんです。

TIME: ピカチュウはゲームの中では、どちらかといえば小さな存在です。しかし、今では最も知られたキャラクターになりました。どうしてこうなったのですか?
Tajiri: 彼らがアニメを作ろうした時、興味を引く為の特別なキャラクターを欲しがっていたんです。ピカチュウは他よるは比較的に人気がありましたし、少年と少女の両方から好かれる可能性を秘めていました。彼らはそういった意見をたくさん聞いていましたよ。
私のアイデアでは無かったですね。

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本パックランドでつかまえて―テレビゲームの青春物語
田尻智氏のエッセー集の復刻版です。
      
何でいつもDSって売り切れ状態なんですか?

後半の記事UPしました。
posted by えいち at 02:20 | 東京 ☀ | Comment(13) | TrackBack(0) | Persons(注目の人物)