
僕はまだ観てないのですが、ネットからは悲鳴や怒号、ため息などが聞こえてきます。いったいどんな出来なんでしょうか?とってもワクワクしてきました。僕だけでなくきっと世界中のジブリ・宮崎ファンもゲド戦記には期待しているでしょう。ハウルがちょっとアレだっただけに・・・なおさら。そんな中、北米大手アニメサイトANNでなんと既にゲド戦記の映画批評がDaniel DeLorme氏によって書かれていました! この人がどうやって映画を観て、日本語をどう理解したのか分かりませんが海外の英語サイトでは多分始めてのゲド戦記批評だと思います。当然、ゲド戦記情報に飢えていた海外の宮崎ファンはこれをむさぼる様に読んだと思われます。果たしてその内容は!?
そんな訳で僕もむさぼる様に読んでみました・・・・・・が、長い!難しい!!
英語掲示板に助けて頂きながら、何とか翻訳は完了しましたが、誤訳・意訳御免でお願いします。そしてこの批評ですが僕が理解した限りでは、批評者はかなり失望している様に感じます。それでも巨大なジブリ・宮崎の影響力の為か『良かった探し』までして、何とか褒めようと努力している様に見えます。それは批評本文でストーリーは良いとも言っているのに、最後の採点でストーリーにC+とかなり悪い点を与えている所にも垣間見えたりしてます。
Gedo Senki
ゲド戦記
この批評を書いている間に、私の中で1つのことがハッキリした。
それは、定番の『宮崎』が今では曖昧なもの(息子の登場で)になってしまったので、我々は『ハヤオ』について話し始めなければならないのかもしれない、ということだ。
この映画のTVコマーシャルの中で、鈴木プロデューサーは視聴者へこの『親子対決』を観に行くよう懇願していた。実際には個人の仕事としてゲド戦記を採点することは、ほとんど不可能だ。結局のところこれはジブリ映画なのだから、以前のジブリ映画(特にハヤオの作品)と比較するしかない。
とは言うものの、この映画には宮崎ハヤオが得意とした大切な人間味により増大された興奮とファンタジーの特製ブレンド『ハヤオの魔法』がかけられていない。そしてその魔法は宮崎ハヤオ以外の監督には期待すべきではない、あの高畑勲でさえ同種のものは持っていないのだ。
ゴローがハヤオの息子だからといって、それを彼に期待するのは不公平というものだろう。それにハヤオの人間味と個性の代わりに、私達はより壮大で深刻そうな何かを与えられる。事実この映画は、物語をとても深刻にとらえようとした為か、私は映画を観た後に面白かった瞬間を1つも思い出すことがきないでいる、これは期待はずれだ。もともとジブリの作品に込められていたちゃめっ気のあるユーモアセンスの形跡は、何処かに行ってしまった。
あなたが奴隷制度が当たり前になっているこの映画の世界を見たとき、これがいつもの家族向けジブリ映画とは全然違うものなんだと理解するだろう。
雰囲気は、言うなればもののけ姫に近いだろうか他のジブリ作品よりは。
ゲド戦記の芸術スタイルはジブリの典型的なものだが、物語は壮大なファンタジーの典型でそれらは少し調和できていない。原作(ウルスラ K ル=グウィン著 小説EarthSea)を考慮すると、このことは予想できたはずだが、それでもジブリの映画がロードス島戦記の手法で物語を展開させるのは意外ではある。
プロローグは、世界のバランスが崩壊しつつあるという不吉な警告から始まる。これは当然ながら観客に、世界のバランスの崩壊って何だ?と壮大な物語を期待させるのだが、それは応えてくれることの無い間違った期待だと分かる。
この広い世界での出来事は、主要人物のより個人的な苦難に立ち向かう背景だけでしかない、そうハウルにそっくりだ。そしてそれこそがこの映画の最大の問題で、現実の物語よりも面白くすることに失敗している。プロローグとその後のストーリーの繋がりが欠けていることは、この映画の本当に痛い傷の1つだ。ゲド戦記はどうしようもなく悪い、というわけではない。我々は過去と恐れとそしてゲドから逃げている若い男アレンと、彼の不安を取り去る老いた男の魔法使いを紹介される。世界のバランスを復元すると言うよりはむしろ、この物語は人の心の中にある光と影のバランスを回復する話だ。ファンタジージャンルの全ての主題が、映画に組み込まれており、もののけ姫のように一つや二つの深いメッセージを伝えることも躊躇わない。ゴロウは、人生は短く儚いものだということを、それだからこそ人生を大切にしなければならないのだと我々に伝えたがっている。映画のメッセージを提示する会話と方法は少し不器用だが、全体として見ればなかなか良いストーリーだ。人生の単純な面に焦点を当てるのは、何と言ってもスタジオジブリの専門分野の1つだろう。そしてゴローは1つの映画に、Earthsea saga(原作)の全体を無理に詰め込もうとしたくなる罠を賢明に避けた。ストーリー上わずかな登場人物達に焦点を当て続けることは、その映画を結末へ向かって活発に進ませる。そして物事を上手く包み映画のメッセージを維持させている。登場人物の性格描写はかなり良いが、そのキャストはほとんどが伝統的なジブリの典型で構成されていた。登場人物のひとりひとりは興味深く、ゴロー独自のやり方で描かれているのだが、(あまりにも似すぎていて)観客は「この人は誰の双子? (=そっくりさんは誰?)」ゲームをしたいという誘惑にかられるかもしれない。 そうならない唯一の例外はArrenである。困惑し、苦悩する(とはいえ、ありがたいことに、めそめそしていない)若者である彼は、ジブリ映画において多少例外的な存在であり、新鮮な空気の一吸い(=新しい風)である。まったくのところ、この映画が難儀するであろう点は宮崎父と比べられることのみである。
視覚的には・・・まあ、これは結局のところメイド・イン・ジブリだ。
たとえハヤオが指揮を執っていなくても、スタジオジブリには技術と経験を持った職人達が溢れている。そのアニメーションはいつも通り豪華だが、本当にこのショウの評判を奪っていくのは背景美術だろう。この映画は息もつけないほどの壮大な場面で一杯で、実際、広大で威厳のある背景は特にこの映画をシアターで観る価値のあるものにしている。そして音楽はもう1つの最高潮(シャレだよ)だった。<注:どんなシャレなのか僕には分りませんでした>
中世風のサウンドがこの映画のテーマに非常に合っていて、実に素晴らしかった。その主題歌を具体的にいうと、とても口ずさみやすいメロディーで君の頭にこびり付くこと間違い無しだ。特に映画の中でテシマ・アオイの愛らしいアカペラで聞いた後ではね。
ゲド戦記は良い映画だが、その最も注目すべき特徴は、それが新しい時代への移行を告げているように見えるという事かもしれない。時々、凄くジブリっぽく見えるが、またある時は全てにおいてジブリと違って見えるのだ。
ハヤオはまだまだこれからだ、しかし『ハヤオの後のジブリ』がどうなるのか?と疑問に思わざるを得ない。この疑問はゲド戦記の上にのしかかり、映画をあるがままに楽しむことを難しくさせている。壮大なファンタジージャンルで全体的にはかなり良くできた映画の重大な出品ではある・・・・・・ただ、ハヤオの映画を期待して観に行っては駄目だよ。
Overall : B
Story : C+
Animation : A-
Art : A
Music : A-
+ Good art and animation; interesting world; awesome for fans of epic fantasy.
- Main character kinda angsty; storyline disconnected from prologue.
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日本語わからないだけちゃうのかと
「メイド・イン・ジプリ」=ジプリの職人によってある程度の質は保障されていますよ。
傑作では無いけれど。
ジブリスタッフの力で映像上は体裁が整っている分、悲惨なことになっている。
ゴローはもっと短い作品で何度か
「他人に見せる作品を作る」という修行を積ませるべきだったねぇ、、