2008年10月29日
ずっと順番待ちしてたニッポンの評判―世界17カ国最新レポートをやっと借りれた。
昨晩、半分ぐらいまで読んだけど・・・・・・・
メチャクチャ面白いぞー!!!
と叫びたくなるほどのヒットでした。自分にとっては。^^
今回は中身を紹介してる時間がないので、amazonの紹介文を引用。
「日本人男性はキュート」(オーストラリア)、「中国人は大嫌い、でも日本人は大好き」(トンガ)、「アイロンもビジネスマンも、日本製は信用できる」(ドバイ)----。日本人がまじめに働いてきた年月は、世界で確実に評価されていた。「クール・ジャパン」への熱いまなざし、意外なほど根強い「親日」の精神。「日本が世界でどう思われているか知ってほしい」という願いを持った、各国在住の書き手による最新レポート。
やっぱり実際に海外に長年住んでる人達の話は面白い。
そんな訳で、しばらくこの本をプッシュさせて頂きます。
2008年10月30日
今回もニッポンの評判―世界17カ国最新レポートの紹介から。
1996年からブラジルに在住する根川幸男さんの書かれたレポート
「サンバと盆踊りの幸運なフュージョン」から一部抜粋。
状況が少しずつ変わり始めたのは、戦後になってからだ。「ジャポネース・ガランチード(日本人は保証付き)というような肯定的評価も生まれた。これは、「日本・日系人は信用できる」という意識と「日本人は馬鹿正直」といった多少の揶揄が含められている。このような評価がおこった背景には、日系人のブラジル農業への貢献、戦後日本の産業とテクノロジーの大躍進、そして1960年代からはじまる日系企業の進出が挙げられる。日本の技術は、何も育たなかったセラードという半乾燥地帯を、世界的な大豆の生産地に変えた。こういったブラジル人にとっては「魔術的」なテクノロジーや、それにともなう正直さ、勤勉といったものが日本への好評価をもたらしたのだ。
しかしそれだけでは、快楽主義のブラジル人の「日本はカッコイイ」という評価にはつながらない。劇的な、突然変異とすらいえる変化は、90年代に入っておとずれた。
日本製アニメ、なかでも90年代半ばに放映された「聖闘士星矢」は、ブラジルの子どものほとんどが視ていたと言われるほどのヒットとなり、これがジャパニメーションブームに火をつけたのだ。星矢がハイテクノロジーを駆使して悪者どもを次々とやっつけるイメージから、「日本=ハイテク」「日本人=正義の味方」、さらに「日本=カッコイイ」という図式が出来上がった。そんな「日本アニメ世代」が次々と大人になってゆく。
車田正美先生すげえええええ。
「日本=ハイテク」はまあ正当な評価だとしても、「日本人=正義の味方」
とまでイメージ付けてしまうとは・・・・・・さらに「日本=カッコイイ」
まで行っちゃうと、もうハードル高すぎて自分はブラジルに行けないよ。^^;
ま、冗談はさておき、「何も育たなかったセラードという半乾燥地帯を、
世界的な大豆の生産地に変えた」というのは凄いですね。
ここにセラード開発を取り上げた記事がありますよ。
日刊ベリタ
移民した方たちがかなり苦労されたことは聞いてましたが、具体的な
話は何も知らなかったのでリンク先の記事は興味深かったです。
2008年10月31日
今回もニッポンの評判―世界17カ国最新レポートの紹介から。
1997年からオーストラリに在住する緑ゆたかさんの書かれたレポート
「第一線に就く知日派ツナミ世代」から一部抜粋。
「日本人男性はキュートでカッコいい」
レストランでたまたま隣席になったオーストラリア人女性がこう言って、私達夫婦の度肝を抜いた。彼女はワーキングホリデイビザを利用して日本の英語学校で働いたことのある20歳前半の女性だった。
40代後半のオーストラリア人である私の夫が、信じられないという面持ちで「いったい日本人男性のどこがいいの?」と不躾に彼女に聞いた。彼の世代にとって日本人男性の典型的イメージといえば、どちらかというと性的魅力に欠ける、真面目で働きすぎの没個性的社会人間であったからだ。
「私だけじゃないよ」
彼女はムキになって、日本人の男の子がいかにファッショナブルで洗練されており人気があるかを力説した。オーストラリアでは、ファッションデザイナーの五十川明氏とカリスマシェフの和久田哲也氏がセレブの扱いを受けており、メディアを通して伝わってくる二人のセンスの良さが、どれほど日本人男性全体のイメージアップに貢献しているか計り知れない。
ブラジルだけじゃなくてオーストラリアもか。
ここもハードル上がってて自分はもう行けないね。
ファッショナブルでも洗練されてもいませんから。^^;
それはさて置き、白豪主義から最近の捕鯨問題までざっと触れられて
いるので、なかなか興味深いものがありました。
オーストラリアって韓国・中国に続く世界3位の日本語学習率だそうです。
旅行に行っても言葉で不便することは意外と少なかったり?
2008年11月01日
今回もニッポンの評判―世界17カ国最新レポートの紹介から。
1994年からトルコに在住する高谷一美さんの書かれたレポート
「世界で一番の片思い」から一部抜粋。
(前略)
私事になるが、トルコで出産したときのこと。「日本人の赤ちゃんがいる」と病院中で話題になり、「見せてもらえませんか」とひっきりなしにドアがノックされた。看護婦は娘を見せびらかして歩き、「おむつを替えるから」と新生児室に連れて行ったまま戻らない。見に行くと、娘を捧げ持ってガラス窓に向けていた。その向こうには、トルコ人の人だかりがやいのやいのと押し合っている。まるで珍獣扱いだが、旅行者でもトルコの田舎町で地元の子供たちに、「ジャポン、ジャポン」と群がられた経験を持つ人は少なくないだろう。こう熱烈では、事情がわからない日本人がとまどうのも無理はない。
トルコ人は何故こんなに日本のことが好きなのか。
これにはいろいろな説がある。よく言われるのは、もともと同じ民族であり、同族を懐かしんで歓迎しているのだという説。昔、中央アジアに暮らしていた遊牧民が長いあいだに西と東に分かれて移動し、日本人とトルコ人になったというのである。歴史的に世界の貿易物資と文化の交差点となってきた立地のせいか、トルコ人は混血が進み、容姿の上での統一されたアイデンティティは失っていると言ってもいいほどだ。だから、単一民族に近い日本人と同根と言うのはかなり苦しいと思うのだが、トルコ語と日本語の文法構造はほとんど同じでウラル・アルタイ語に属すると言われる。家の中で靴を脱ぎ、座卓で食事を取るなど、文化にも多少は共通点が見られる。
(中略)
またエルトゥールル号事件のころ、自ら義損金を携えてトルコに渡った民間人の一人に山田寅次郎という人物がいた。彼はその後スルタンの要請でトルコに留まることとなり、士官学校で教鞭をとった。その生徒の中に、のちに建国のヒーローとなるケマル・アタチュルクがいたのである。アタチュルクとは「トルコの父」を意味する尊称で、後に国民から贈られたものだ。本来はムスタファ・ケマル・パシャといった。若き日に受けた寅次郎の指導の影響か、アタチュルクは明治天皇の写真をいつも机上に飾っていて、明治維新を手本としてトルコ革命を推進したと言われる。(中略)
アタチュルクは大統領就任後もそのカリスマ性を最大限に発揮し、アラビア文字からアルファベットへの移行、政教分離の徹底など、国の構造を根本から変える政策手腕を発揮した。今も彼の命日には全国民が動きを止めて黙祷を捧げる、ほとんど信仰の対象に近い偉大な存在だ。その彼が、日本を尊敬し、手本としていたとなれば、国民が日本に悪感情を持つわけはない。そういう説もある。
(中略)
その後、トルコと同じく大戦で敗戦国となり、亡国の憂き目を見てもおかしくなかった日本は、今や先進国のひとつとして世界に認められている。その事実への羨望がある。トルコにとっての近代化は、フランスの教育構造を真似たことに見られるように、西洋化と同義のようなところがあった。しかし、歴史が培ったお互いへの不信感はすぐにはいかんともし難いし、昔のような力を持たないトルコにヨーロッパは冷たい。島を二分割しているキプロス問題、ドイツ在住のトルコ人問題などの確執も多い。誇り高いトルコ人は、先進国とは言えヨーロッパを素直に称賛できない、コンプレックスがあるのだ。その点、日本は違う。日本は同族だ。古くからの盟友だ。敗戦からいまだに上手く立ち直れないトルコとは水をあけられた感があるが、なあに、追いつけないわけじゃない。近代史では一歩間違えばトルコが日本で、日本がトルコだった。そういう相手だ。日本を見習え、われらがアタチュルクもそういったではないか。だから日本の成功を素直に喜べる。もう一人の自分が憎き敵と互角に戦っていて、評価されてる感覚。自分の過去の栄光や未来のあるべき姿を重ねているとも言える。(後略)
( ・∀・)つ〃∩ へぇ〜へぇ〜へぇ〜
色んな所でトルコ人は親日、いやそうじゃないなんて議論がされてるけど、
現地に長年住んでいる方の肌で感じた意見は興味深いです。
日本人の赤ちゃんが病院で大人気とか、ちょっと想像できないですよ。
エルトゥールル号事件や山田寅次郎さんは何度かテレビで特集されてたので
知ってましたが、トルコの父と言われる偉人が寅次郎さんの生徒の一人とい
うのは初めて知りました。当然トルコ人は歴史で習うと思うので日本に好印象
を持つ人が多くいても不思議じゃないかも。
ヨーロッパへのコンプレックス、日本への親近感など色々複雑に絡み合って
るトルコ。一概に親日と言い切るのはどうかと思いますが、少なくとも
嫌われてることはない様子。それで十分かと。
東の太陽、西の新月―日本・トルコ友好秘話「エルトゥールル号」事件
2008年11月02日
今回もニッポンの評判―世界17カ国最新レポートの紹介から。
1991年にトンガ人男性と結婚し、96年にトンガ永住を決めた
又平直子・アフェアキさんの書かれたレポート
「日本人のふりをする中国人が出没!」から一部抜粋。
トンガ王国は、オーストラリアの東、南太平洋にある人口10万人弱の小国。年間の日本人訪問客数は1000人未満と決して多くはない。トンガ在住の日本人は国際協力機構(JICA)や青年海外協力隊(JOCV)のボランティアや、政府開発援助(ODA)関連の人たちがほとんどだ。それ以外のいわゆる「民間人」(日本政府は十把一絡げでこのように呼ぶ)は非常に少なく、全員で50人ほどだが、評判は非常によい。
(中略)
トンガはニュージーランドとオーストラリアに近く、第二次大戦後に入手できる日本の情報のほとんどは両国からのものだった。特にオーストラリアでは捕虜の問題もあり「日本人は残虐である」というイメージがそのまま、トンガにも伝わった。しかし、1970年代から政府機関のボランティア活動がトンガでも始まり、更に「青年の船」のような国際交流の場で「生」の日本人に触れてから、対日感情がプラスに変化したようだ。
2006年には、国立病院の増改築の工事が日本政府のODAで完成し、贈呈式がテレビで報じられた。2期工事は世界中からトンガ政府がローンして行ったが、入札業者の価格は日本が一番安かったらしく、それも日本が落札した。さらに3期工事は日本政府に無償援助の申請をしているとか。人の生命に関わる病院もアップグレードを日本がしてくれたことは、大いなるイメージ・アップになった。また、本島と離島を結ぶ老朽化したフェリーを日本政府が無償援助で提供してくれることになっている。
トンガの弱点である水の確保に関しても、日本政府が水供給システムを無償で作っている。その他、小学校の教室や地域の保健所、国際空港、空港から市内への道路舗装、首都の水道の水圧改善工事、公立高校3校に至るまで、人々の生活に必要不可欠な援助をしている。とにかくトンガでは、「日本は親切な国だ」と思われているのだ。
一方、ここでは反中国人・インド人感情が非常に強いので、間違えられないようにする必要がある。
(中略)
日本人は見た目が似ているために、こういった問題のトバッチリを受けることがしばしば。日本人だと偽る中国人が出没しているのだ。それでは、と周りのトンガ人に日本人と中国人をどう区別しているのかと聞くと、次のような答えが返ってきた。
・日本人は英語ができる
・日本人はスマイルしてくれる
・日本人は、身だしなみが良い。また、トンガ服を着ている人が多い
・日本人は外食する、高級スーパーで買い物をする
・日本人は綺麗好き
・日本人は礼儀正しいし、謙譲の精神がある
・日本人は歴史・文化・伝統の意義を理解している
「日本人は英語ができる」などと言われると戸惑うかもしれないが、JICA、JOCVの隊員は一応英語の試験に合格して来ているし、ODA関係者も英語ができる。トンガでは日常的にはトンガ語を使うが、英語が公用語になっており、実際には英語ができなければまともな就職はできないし、高等教育も受けられない。在トンガ中国人の多くは英語を理解できず、まずは商売に必要なトンガ語を習得する。トンガ人は、日本人のスマイルを好んでいる。道ですれ違った時に目が合えばニッコリしてくれるのが日本人で、ムッとした顔をするのが中国人なのだそう。
(中略)
トンガに大きな影響力をもっているものに、皇室外交がある。亡くなった王国が皇太子であった戦前に、和歌山から十数名の日本人がトンガに来て雑貨屋を始めたこともあり、亡き国王は大の日本びいきであった。トンガの小学校でソロバンが教えられていたり、70年代にトンガ人が日本で相撲取りになったり、最近ではアマチュア相撲に出たりするのも、国王の日本びいきの賜物。お忍びの訪日も多かったようである。
また日本からは2003年10月に秋篠宮ご夫妻が南太平洋諸国を訪問され、トンガにも来られた。その際、戦前和歌山から来た日本人の末裔、JICA、JOCV関係者、民間人も招待されて晩餐会があった。また、小学校や様々な村もご訪問され、熱い歓迎を受けた。2006年に9月に国王が崩御された際も、国葬に日本から皇太子殿下がご出席になり、トンガでの日本の評判は上がる一方。日本の初七日の祓いのような儀式では、新国王の後見役のような役を、在トンガ30年の日本人男性が務めた。この日本人男性は、現国王トゥポウ五世とは長年の友人で、週に何回か和食をお作りしているそうだ。
とにかく王族は和食が大好物だ。最近は、一般のトンガ人でも「スシ」「サシミ」「ワサビ」「テンプラ」という単語が浸透しつつある。逆に、日本人もトンガ食を美味しいと感じる。トンガ風お刺し身サラダ、茹でただけのイモ類に始まり、ウニ、赤貝、サザエ、イセエビ、アサリ、マグロ、カツオ、アジ、海鼠腸などなど。トンガ人宅や何かのイベントで出されたトンガ食を、他国人と異なり日本人は美味しい美味しいと言って食べる。だから、トンガ人は日本人に対しますます親近感を持つ。
(後略)
ああ、何かトンガの王族にほっこりした。(*´д`*)
正直、トンガのことは何も知らなかったですよ。
王国だとか、公用語が英語とか、南太平洋にあることすら。
だから、王族が日本びいきで和食も大好き、皇室外交までしてたなんて
聞くと、ビックリというか今まで知らなくてゴメンなさいて感じです。
中国人に関しては、もう突っ込むのは止めときます。^^
でも、日本人も彼らを笑ってばかりはいられないようです。
この又平さんのレポートの最後の方にこう書かれてました。
最近、トンガに来る日本人の若者に接したトンガ人が「彼らは貧乏で
ずうずうしくて怠け者で、日本人じゃないみたいだ」と言うのだ。
やっぱりこういうオチがあったかあ。
これまで諸外国とどういう交流・援助をしてきて、どれだけの信頼・好感
を築いてきたかなんてのを、学校で教えてくれないかな。
そうすれば、もうちょっと何とか・・・・・・・たぶん・・・
2008年11月05日
ニッポンの評判―世界17カ国最新レポートの紹介を復活。
1996年からオランダに在住する稲葉霞織さんの書かれたレポート
「皇室への親近感が架け橋に」から一部抜粋。
私達そっくり
「日本人は、単一民族ではなくて、れっきとした他民族といえるほどだ。それに、その旺盛な好奇心は私たちオランダ人そっくりである」
日本を知るオランダ人たちは、そう結論づけた。オランダ国営第一放送で放送された「日本人を語る」というタイトルのパネル・ディスカッションでのことである。
この番組は2000年、日蘭国交400年祭のために企画、放映された。オランダではこの年、日本の皇室とも縁の深い王室を筆頭に各界から約200団体が参加し、1年以上にわたる大イベントが行われた。イベントに関する本が多数出版され、オランダ国営放送は連日のように「日蘭国交400年記念」と銘打った番組を放送した。
頻繁に登場していたのは、日系企業に勤務した経験のある人や日本学を学んだ人、あるいは伴侶に日本人を選んだ人たちだった。一連の番組のなかで特に面白かったのが、「それだけ長い間、友好関係にあった日本人というのは、いったいどんな人々だったのか」という疑問に答える、冒頭のパネル・ディスカッションだった。意外なことに、オランダ人参加者は、日本人を2種類に分けて観察していた。それは、「日本在住の日本人」と、「外国在住の日本人」である。
「日本在住の日本人」は、それこそ多種多様であり、単一民族とは思えないほどユニークで斬新な存在である、と彼らは分析する。
「思想的な面から考えれば、日本人は多民族といえるくらいに、革新的な考えを持つ者もいれば保守そのものという者もおり、均一化されておらず各々が個性的である。その基となるのは精神の強さである。強いからこそ、他国から導入される思想や流行などを素直に受け入れる姿勢をもてる。つまり『土着の日本人』は、常に柔軟かつ寛大な心と精神を持っている国民だ」
というのが共通の意見であった。この意見は、実に意外なものであった。日本人とは「一つの国民」であることに意義を見出す民族であり、外国人からも当然そう見られていると想像していたからだ。そして彼らは、こう結論付けた。
「このように旺盛な好奇心にみちて、他からもちこまれた文化を取り入れることに積極的であり、頭脳を生かして経済大国へののし上がった日本人とは、まったくもってオランダ人と同じである」
(中略)
オランダで日本が話題になる際に、第二次世界大戦は避けて通れない。当時オランダの宿敵といえばナチス・ドイツ。オランダは占領されてしまい、その宿敵と日本は協定を結んだのだから、日本はオランダの敵になった。そして、日本軍はオランダ領であった東インド(現インドネシア)を占領し、現地の支配層であった裕福なオランダ人商人とその家族らを捕虜として収容所に送り、強制労働や監禁生活を強いた。さらに日本敗戦の後も、現地に残った旧日本軍の有志らが、オランダからのインドネシアの独立を強く促したため、彼らは生まれ育った土地を奪われてしまった。
この被害者や遺族たちは、現在も反日家として公然と日本非難を行っている。昭和天皇がオランダ女王を訪問した際には、「ヒロヒットラー」と絶叫し、日本人を普通に「ヤパナー(Japanner)」とは決して呼ばず、「ヤッペン(Jappen)」という蔑称で呼ぶか、「ドイツァ・イン・デ・オーステン(東洋のドイツ人)」と呼ぶ。
とはいえ、実は一般の人たちにとってはこれは歴史上の一幕に過ぎず、あまり関心は高くない。意外に思われるかもしれないが、第二次世界大戦を体験した年代のオランダ人でさえ知らないケースも多いし、知っている人も首を捻るのである。なぜかといえば、結局は遥か遠いアジアで、ごく一部の富裕層に起こったことであり、当時は本国ではほとんど話題にならなかったからだ。後世になってメディアで取り上げられるようになったが、「現実味が肌で感じられない」と言う人さえいる程だ。
「日本軍によって戦争被害者にされたというが、ならばオランダ人はインドネシア人に対し何を行ってきたのか。彼らを奴隷として酷使してきたえはないか。真の意味での被害者は一体どちらなのか、よく考えよ!」 − このように考える市民も数多存在する。
(後略)
オランダは、以前紹介したトルコとは真逆で反日色の強い国だと思ってた。
だけど、現地に住む人の意見では必ずしもそうではないみたい。
2000年に日蘭国交400年祭が催されて、そのために企画された特番が国営放送
で連日流れてたというのも全く知らなかったですよ。
その番組でのオランダ人の日本人感も驚き。
結構な褒め具合じゃないですか。
最後に我々オランダ人と同じというオチもつけてますし。
でも、嫌いな民族なら自分達と同じなんて言わないと思うし、ここは素直に
喜んでおいて良いのかも。^^
地球の歩き方 オランダ/ベルギー/ルクセンブルク 2008~2009
2008年11月06日
ニッポンの評判―世界17カ国最新レポートの紹介するのもたぶんこれが最後。
図書館への返却期日が迫ってまいりましたので。
そんな訳で今回は、目次を引用して全体的にどんな内容なのかを
見ていただく事にします。
第1章 「クールジャパン」へのまなざし
第一線に就く知日派「ツナミ」世代 − オーストリラ
日本人よりも「日本通」な人々 − ロサンゼルス
古都の街並みに吹き込む新しい風 − イタリア
サンバと盆踊りの幸福なフュージョン − ブラジル
ドラマもお寿司もルック・イースト − マレーシア
「HENTAI」ポルノは世界標準 − 日本発AVソフト
第2章 「親日感」のさまざまな形
世界で一番の片思い − トルコ
「日本人のふりをする中国人」が出没 − トンガ
「日本式経営」から調和と寛容を学ぶ − シンガポール
皇室への親近感が架け橋に − オランダ
家電製品が作り上げたイメージ − ドバイ
大公開!「日本人取扱い説明書」 − ニュージーランド
第3章 誤解と幻想を超えて
ノキア社員が目撃した「傲慢な日本人」 − フィンランド
日本とイランを行きつ戻りつ − イラン
マンガは大好き!でも日本は知らない − ドイツ
陽気なイタリア人への正しい答え方 − イタリア
それでも音楽の都を目指す日本人残酷物語 − ウィーン
日本語と英国人の距離を見つめて − イギリス
終章 もうひとつの「美しき文明」
日本に抱く夢 − フランス
日本人にとって気分の良い話だけでなく、耳の痛い話も載っていて
バランスが取れてると思います。もっとたくさんのレポートを紹介
したかったのですが時間切れです・・・・・・・残念。
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今井 佐緒里
神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に入社。月刊誌編集部などで九年間勤務の後、退社。2001年渡仏、現在ニース大学法政治学科に在籍。異文明間の交流と、ヨーロッパ連合が変える世界観をテーマに研究を続けながら、執筆活動をしている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
ニッポンの評判―世界17カ国最新レポート (新潮新書) | |
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