まだ記憶に新しいこの事件。
ある週刊誌が、殺害に至った引き金は「信心が足りないからだ!」と
父親に罵倒されたからだと報じた。
これが、真実なのかどうかは判らない。
でも、俺にも一つだけ解る事がある。
それは、「信心が足りないからだ!」と言われた時の気持ち。
そして、それが殺意に変わる時の体の熱さ。
それだけは何度も体験してきたのでワカル。
俺は相手ではなく、自分を殺してきただけ。
学会員の人たちは簡単にこの言葉を使う。
俺も子供の頃から、何か失敗するたびによく言われた。
子供は、両親や周りの学会員をガッカリさせたくない、
その人達に認めてもらいたいと思い、一生懸命に努力します。
そして、何か成果を挙げた時は、みんなに
「良くやったね。がんばったね。」
「偉いね。努力したかいがあったね。」
と言って欲しいのです。
だがその時には、彼らは笑顔でこう言うのだ。
「良かったね。全部、ご本尊様のおかげだね。」
「えっ・・・・・?」
「本当、ご本尊様に感謝しなきゃ駄目だよ。」
「・・・そうですね・・・・・・。」
大人たちの無邪気な言葉に何も言えなくなる。
彼らは、子供たちに信心を続けさせようと思い、そう言うのだ。
失敗すれば、信心が足りない。
成功すれば、ご本尊様のおかげ。
そう言い続ける事で、子供たちにご本尊様は絶対なんだと刷り込む。
まるで、子供たちには考える心など持っていないかの様に。
だけど、違うよ。
子供たちは見抜いてる。
大人たちの計算と良心と無知を。
それ故に、傷ついている。
そして、自分たちを傷つけている事に気づきもせず、
信心を語る大人たちを醒めた眼で見ている。
板橋の少年は父親の中に何を見抜いたのでしょうか?
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